クリスマスの歴史は古いものですが、日本ではいかがしょうか?
① 日本のクリスマスの由来
日本にクリスマスがやってきたのは、1552年のことです。周防の国(山口県)で宣教師フランシスコ・ザビエルが信徒を集めてミサを行ったことが始まりといわれています。当時クリスマスのことを「ナタラ」と呼ばれたそうです。 クリスマスが一般大衆に広く知られるようになったのは、明治37年の銀座への「明治屋」進出がきっかけでした
当時は非常に珍しかったクリスマスツリーを店頭にディスプレイしたことが大きな話題を呼び、クリスマス商戦を起こしました。大正時代に入って、豪華なホテルでクリスマス晩餐会の開催や、サンタクロースが日本映画に登場するなど、少しずつ日本国民に浸透していきました。
日本のクリスマスは長い歴史を渡って、盛んだり、姿が消えたり、また復帰したり、色々な段階を歩んできて、現在日本人の中でなくてはならないイベントとして見られています。
② 日本人がクリスマスでする事:
- 家族、恋人、友人とパーティーしたり、遊園地まで出かけたりする事。真冬とはいえ、女性はサンタクロースの格好をし、友達と写真をとることが良く見かけられます。
- ショートケーキを食べる事。
- イルミネーションを見に行く事。
③ 日本クリスマスの風景:

Tokyo's Christmas
(Source: Internet)
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Kobe's Christmas
(Source: Internet)
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Osaka's Christmas
(Source: Internet)
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日本の宝物 – 和紙。
書道や絵画で使われる以外にも、障子や照明器具のカバー、高級和傘やうちわなどの生活の高級素材として幅広く使われています。そして、島根県の「石州半紙」、岐阜県の「本美濃紙」、と埼玉県の「細川紙」はユネスコ無形文化遺産に登録されました。
では、和紙はどのように作られるでしょうか?今月のKAIZEN便りで「伝統的な紙漉き」を紹介したいと思います。
① 和紙の原料と原料処理:
どの和紙も「楮」(こうぞ)を使用してつくります。
12月から1月まで、楮の原木を70㎝~100㎝程度に切りそろえ、釜で蒸します。蒸し上がったら、外皮だけを取り、天日干して乾燥させます。
乾燥させた外皮を水に浸してやわらかくしてから、皮を削っていきます。楮の皮は「黒皮」「甘皮」「白皮」の三層からなっていますが、「白皮」だけが使われます。削られてできた白皮は再度乾燥させます。
② 和紙製造の各段階
煮熟(しゃじゅく)
清水で洗う事や草木灰やソーダ灰を混ぜた水で何時間も煮出する事で乾燥した白皮から不純物を取り除きます。
これは自然漂白処理と言います。この自然漂白処理で白皮がキレイで柔らかくなります。
叩解(こうかい)
楮の繊維をバラバラする作業です。白皮を硬い木盤や石台などの上に敷いて、樫の木といった堅い木で出来た棒や木槌で叩き繊維をほぐします。
抄造(しょうぞう)
よくほぐした原料を、とろろあおいの根から作られた粘液(ねり)を加え、漉舟(すきぶね)といわれる水槽に入れ、馬鍬(まぐわ)と呼ばれるまぜ棒でかき回します。
そして、竹で作られた簀を挟んだ漉き桁(すきけた)で水をすくい、前後または前後左右に揺すり紙料の層をつくります。適当な厚さの層ができたら、その濡れた状態の紙を背後の紙床と呼ばれる場所に積み重ねていきます。
乾燥
脱水した和紙を1枚ずつ剥がして、天日干し(板干し)で乾燥させたら、「和紙」が完成します。
③ 終りに
近代以降の洋紙の隆盛に対して、生産業者の努力や障子や和傘の原料としての需要があったことで、和紙業界は何とか衰退・消滅は免れてきました。しかし、
第二次世界大戦後の高度経済成長期になると、和紙職人などの後継者不足や生活の欧米化、住宅様式の変化による和紙の需要低減で、技術継承の危機が叫ばれるようになります。
日本の誇らしい和紙の文化の消滅を防ぐ為には、日本の文化を愛してる外国人である私たちの力も必要となるでしょう。